栗鼠と珈琲

そこかしこに溢れ出した栗鼠、珈琲のお菓子など、記録してます。

日本語の難しさ(助詞について:「は」と「が」の違い)

いつも考えていることがある。
それは日本語の難しさだ。
突き詰めれば単純なのかもしれない。それでも考えずにはいられない。
普段仕事する上で「文章を書くこと」や「会話をすること」は必須である。
この時、自分の文章が本当に正しいのか、説明している文脈は正しいのか。
疑念を抱いてしまうのだ。
そして、何時も考え確認する。

それは
「に」と「へ」の違い
「は」と「が」の違い
そう「助詞」の使い方だ。

例えば

本件については以上です。
「何か質問は有りますか?」
と聞かれた時

×「質問がありません」とは言わず
○「質問はありません」と言います。
私は「無いです」とyes・noで答えていますが(笑)

此処では主が「質問」になります。
またその言葉は「一つで明確」です。
なので
○「質問はありません」と答えるのかなぁ~?等と考えました。

逆に

「貴方の好きな果物は何ですか?」
と聞かれた時

×「蜜柑は好きです」とは言わず
○「蜜柑が好きです」と言います。

此処では主が「果物」になります。
ただその言葉「果物」は「複数から構成」されており
明確な一つにはなりません。
なので
○「蜜柑が好きです」と答えるのでしょうか。

これをもう少し会話の文脈にしてみます。
「果物は何でも好きですが、敢えてあげるとしたら柑橘類、特に蜜柑が好きですね」

次に、こんな会話は、どうですかね。

「月曜日までに質問を考えて来て下さい」
そして月曜日
「考えて来た質問を幾つか挙げて下さい」

  1. 「質問自体浮かびませんでした」
  2. 「質問内容浮かびませんでした」
  3. 「質問浮かびませんでした」
  4. 「質問浮かびませんでした」

どれも、余り違和感を感じません。
ただ、1.~3.の「」は、考えた結果
例えば(起こったこと、或いは、その人が起こした行為、事象や現象に対し)
何も浮かばなかったと述べているように聞こえます。
それに対し、4.の「」は、考えた結果
何も浮かばなかったという判断の結果、事実を述べている気がしてきました。

これに当て嵌めて次の文章を書いてみます。

私は水槽の水を手で揺らしてみた。
結果

  1. 「強い波立った」
  2. 「強い波立った」

明らかに、1.の方がしっくり来ますね。
(起こったこと、或いは、その人が起こした行為、事象や現象に対し)
波が立ったことを述べているように聞こえます。

これを逆説で書いたらどうなるでしょう。

私は水槽の水を手で揺らしてみた。
結果

  1. 「強い波立たなかった」
  2. 「強い波立たなかった」

どちらでもいけそうな気がしますが個人的には、2.の方がしっくり来ます。
(起こったこと、或いは、その人が起こした行為、事象や現象に対し)
強い波が立つことを仮定した上で現象の結果を述べているように聞こえます。

こういった点からも日本語の奥深さと難しさを感じます。
と同時に反面、非常に興味深く面白さもあります。
得意ではありませんが国語が好きだからかもしれません。

また助詞は、文の情報や性質により使い分けするとされているようです。
余りに多くの情報が溢れ過ぎているため
見ていると何が正しいのか分からなくなります。混乱します。
自分なりに取捨選択しながら自分の言葉で理解を深めていくことが重要ですね。

仕事をしている限り(気になると徹底してしまう質なので)
「が」と「は」の違い、正しいのか、妥当なのか確認し続けることでしょう(笑)。
今日は、リスでもない珈琲でもない。ずっと気になっている日本語の話でした。